名古屋鉄道は、名古屋本線・三河線の知立駅付近で進めている鉄道高架化工事に関連し、2024年3月16日(土)に三河線の三河知立駅を現在の位置から豊田市駅方向へ約900m移設します。
「新」三河知立駅は高架ではなく“平面駅”
名鉄の主要拠点である知立駅周辺は、平面を通る線路による市街地の分断、「開かずの踏切」による交通遮断といった問題を長年抱えてきました。これらの問題を解決するため愛知県による連続立体交差事業が進められており、2023年3月21日に名古屋本線上り(豊橋駅方面)が仮線から高架線に切り替わりました。最終的に合計5.0kmの線路が高架化され、10箇所の踏切が除去される計画です。
事業の実施にあたり、三河線(山側)で知立駅の隣りにある三河知立駅までが約700mと、一般的な駅間距離と比べて短いことが議論されました。駅の配置バランスやまちづくりを総合的に考慮した結果、三河知立駅を高架区間外の知立市立竜北中学校付近へと移設し、平面駅として整備することが決まりました。
現在の三河知立駅は2024年3月15日(金)の終列車をもって営業を終了し、翌16日(土)の始発列車から駅名はそのままで、移設後の駅の営業が開始します。2面2線の相対式ホームを有する無人駅で、「駅集中管理システム」に対応した自動改札機や券売機、インターホンなどが設置されます。
移設より駅勢圏が北西方向の知立市山町・山屋敷町へと広がり、地域全体の鉄道アクセス向上が期待されています。知立市が主体となり、駅利用者のためのアクセス道路や駅前広場、駐輪場も整備されます。
(名鉄三河線三河知立駅の移設前後の位置関係、移設後の駅舎のイメージパース図など詳細は下の図表を参照)
乗り換え客で賑わったかつての重要駅の面影
ところで、現在の三河知立駅の駅位置はなぜ知立駅と近接しているのでしょうか。
三河知立駅は、三河線の前身である三河鉄道が1915年(大正4年)に初代「知立駅」として、当時の知立町(現・知立市)で最も早く開設された駅です。1923年(大正12年)に名古屋本線の前身、愛知電気鉄道が初代・知立駅に近接した場所に「新知立駅」を開業してからは乗り換え客で賑わいを見せました。
両鉄道会社が合併して名古屋鉄道となったのを機に駅名が「知立駅」に統一され、1959年(昭和34年)には名古屋本線と三河線が直通運転できるよう、知立駅が現在地へと移設されました。このとき、三河線の知立駅は「三河知立駅」へと改称されます。名古屋本線の知立駅は「東知立駅」となった後、1968年(昭和43年)に廃止され、名実ともに知立の玄関口としての機能を新駅が担うことになります。
このような経緯で三河知立駅は、一日あたり約800人(2022年度)という利用者に支えられながら知立駅に近い場所で存続してきました。利用規模に反して駅構内は大きめで、現在は使われなくなったホームの遺構や、保線用車両の留置線が存在しているあたりに、かつて主要駅であった面影を感じ取ることができます。
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